【O.Messiaen《La nativite du seigneur -Neuf meditations pour orgue-》(1935) O.メシアン《キリストの降誕 -オルガンの為の9つの瞑想-》】


 個人的にはカトリック教会での「入門式」が終わり、そろそろ御ミサや
「聖書に関しての初学者講座」のみならず、教会で行われている「黙想会」
にも並行して参加してみようかと考えた矢先、或る事柄に改めて気付かされ
ました。

 メシアン作品には、「瞑想」という言葉が含まれている作品が、
思いつく限りでも以下の3作品在ります。
1つはこの《キリストの降誕 -オルガンの為の9つの「瞑想」-》、
2つ目は《Les offrandes oubliees -Meditation symphonique pour orchestre-
(忘れられた奉献 -オーケストラの為の「瞑想」-)》(1930)、
3つ目には《Meditations sur le mystere de la Sainte Trinite(三位一体の神秘への「瞑想」)》(1969)が挙げられます。

 「瞑想」=「黙想」だとして、カトリック教会や修道会に於いて、
この「黙想=瞑想」という行為が、この様に重要だと認識し始めたのは、
実は個人的には「入門式」に与ったのちであり、突如開眼した様な想いがあります。
そしてこの《キリストの降誕》の全9曲も、「入門式」に与る前とは、何かが違って聴こえます。
「瞑想」に、かくも「M.T.L旋法」の響きがが効果的に働きかけるのかと。
つまりは今迄眠っていた着眼点が、「入門式」に与るために
自己内省した結果、こうした事象にフォーカス出来る様になったということでしょうか。

 実のところ、重病の両親の看病を抱えた3年間を経て、メシアン研究に
少々の行き詰まりを感じていた昨今、予想以上に「入門式」は良い気付きを
もたらすきっかけとなってくれたように感じました。
式は実は良い事ばかりでなく、例によって「教会によく居るタイプの
精神的に不安定な迷惑人物による迷惑行為」に悩まされたりしました
けれど、少々の試練を超えれば、また新たな眺望が広がってきたように思います。

 聖イグナチオ教会とクラウス・リーゼンフーバー神父様に深く感謝致します。

Le12 Aout 2015 13h56
Julia.A

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