【O.Messiaen《L’Ascension(昇天) 》(1932-33)における『ヨハネ福音書』の御言葉の引用について】

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 神学講座にて、聖書の教えを学ぶようになり、
9月初頭で4ヵ月が経過した事になります。
そこで今まで余り気に留めずに通り過ぎていたメシアン作品中の機微が、
少々目に留まる様になりつつあるように感じられます。

 その一つが《L’Ascension》(全4曲)の第1曲目に当たる作品に秘められた
構想でしょうか。
この第1番のサブタイトルは以下であり、それに更にヨハネ福音書からの
御言葉が 添えられています。
 尚、編成は1932年にはオケ作品として書かれ、翌年33年にオルガン作品と
してリダクションされています。
(しかし、第3曲だけは、全く異なった作品にすげ替えられています事は、
既にお話しさせて頂きました通りです。)
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No1. Majeste du Christ demande sa gloire a son pere
-キリストの威厳は父なる神にその栄光を求める-

  ≪ Pere, l’heure est venue, glorifie ton Fils, afin que ton Fils te glorifie.≪
   (Priere sacerdotale du Christ, evangile selon Saint Jean)
  “父よ、時が来ました、貴方の子が貴方の栄光を現すようになるために、
   子に栄光を与えて下さい。”
   (祭司キリストの祈り、ヨハネによる福音第17章1節)
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 これはヨハネ福音書の中で、イエスに課せられた「受難」という大きな
課題を遂行する為の覚悟を決めたイエス・キリストの言葉であり、
イスカリオテのユダの裏切りを受けて連行される直前の「イエスの祈りの
言葉」という事になるのでしょう。

 従ってメシアンが組み立てたこの《昇天》全4曲の組曲構成は、
第一にキリストが連行される直前の祈りとして『ヨハネ福音書』から
着想した場面から始まっています。
しかしながら間の第2番第3番は、思うに氏独自の創造の世界の産物では
ないかと憶測します。
オケ版の構想で見ていきますと、第2番は「天国を希求する魂の清らかな
ハレルヤ」
そして添えられているのは福音書でなく、『キリスト昇天祭のミサ典礼書』
からの引用です。
更に第3番は「トランペットのハレルヤ、シンバルのハレルヤ」とあり、
これはオルガン曲にリダクションされた際には鍵盤楽器用の作品には
なり得ず、オルガンの技巧曲とすげ替えられます。
オルガン版の第3番は以下のサブタイトルとなります。
「キリストの栄光を自らのものとした魂の歓喜の高まり」として、
福音書の代わりに
『コロサイの信徒への手紙』や『エフェソの信徒への手紙』からの引用が
付されています。

 そして最終曲は、再び第一曲の場面に戻ってくるかのような構想と
なっており、即ちキリストが磔刑に至る前に作品を閉じる形となっている
事に、今般気付きました。
そこには再び『ヨハネ福音書17節』が引用され、第4曲目のサブタイトルは
「父のみもとへ昇るキリストの祈り」となります。
これには再度『ヨハネ福音書第17章6節と11節』が引用されています。
「世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を
現しました。」(17章6節)
「わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしは
みもとに参ります。」(17章11節)

 結論この作品は、《キリストの昇天》と邦訳されているものの、
実はキリストが昇天する以前、それもファリサイ派の遣わした兵士にも
連行される以前の「ゲッセマネの祈り」の場面を中心的に描いた作品だと
いう事が見えてきました。
即ち、テーマは「祈り=神との対話」、そして「歓喜のハレルヤ」であると
言えるのではないかと愚考します。

 この「イエスの祈り」の個所は、実は『ヨハネ福音書』では他の3つの福音、
『マタイ、マルコ、ルカ』との記述と少し異なっています。
他の福音書では「ゲッセマネのオリーブ園」で祈るイエスが描かれ、
「できることならこの杯をわたしから過ぎ去らせて下さい。しかし私の願い
通りではなく、御心のままに。」と懇願しているイエスを記述して
いますが、『ヨハネ福音書』では、イエスの覚悟はもう決まったかの様に「この栄光を現すようになるために、子に栄光を与えて下さい」と
書かれています。
こうした4福音書を読み解いてゆくことも、のちのちの私の神学理解の
課題でもあるでしょう。
しかしここでは、メシアンの選んだ『ヨハネ福音書』にそってこの
《キリストの昇天》のドラマトゥルギーが成されている事を、
深く考察してゆこうと考えています。

Julia.A

3eme septembre 2015 23h01