【O.Messiaen: 『Poemes pour mi』 (1936) 作曲者自身による全9曲のテクスト翻訳を終えた雑感 (2)】

2013_7_6_priere_exaucee_9
この全9曲から成るテクストの、順を追って視てゆきますと、
メシアン氏の「心の機微」の様なものが視えてきました。

第一冊「No1. 神への感謝」・「No.2 風景」は、穏やか且つ抒情的・
詩的表現が、「現在形の動詞で」書かれているのに対し、
「No.3 家」では動詞が「単純未来」となり、
「将来は○○になるだろう。」という表現に変わってゆきます。
そして第一冊最後の「No.4 恐怖」では、
動詞が「条件法」へと変わってゆきます。
こちらでのニュアンスは「未来の推測」若しくは「反語」的な
気持ちでしょうか。

第二冊「No.5 妻」は現在形ですが、韻を踏む為か
「S+V+O」的な構文の語順が入れ替わっています。
「No.6 君の声」では、殆どの動詞が「条件法」となり、
「もし君が○○であってくれるのなら、△△であるのだが。」
という英語で言う処の「仮定法」的なニュアンスでしょうか。
「No7. 二人の戦士」ここでは病と共に戦おうと、
メシアンはかなり前向きに戦う事を表明しており、
動詞も「現在形(命令形)と単純未来形」です。
「No8. 首飾り」は、至極詩的な表現で美しい仏語で、動詞を余り用いていません。
最終曲「No9. 叶えられた祈り」では、神に祈りながらも、
能動的に復活を渇望し「命令形」の動詞にて「神への鐘を打ち鳴らせ」と
歓びの再来を切望してこの曲を閉じます。

こうした一連のテクストを視てゆきますと、
氏の最初の結婚生活の希望と葛藤とが、かなり切実に伝わってきます。
そうした困難の中、作品を書き続けた氏に
敬意を表したいと思っております。

赤坂樹里亜

Le 9 Juillet 2013 10h29

〈スポンサー〉
〈スポンサー〉

関連記事